<< October 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
面白いですねぇ、、、
今、共に暮らす人たちは、
だあれも、私の見てきた風景を知らない。

山の上の、真っ二つに割れた岩から望む、小さな町と、遥か向こうに霞む海。

広葉樹で彩られて夕焼けに燃える山の木々。

波のないエメラルドグリーンが滲む遠浅の小さな海。

その海へ繋がる緑のトンネル。

石垣。

などなどと、私の中には沢山の風景があって、見ようと思えば見えるのに、誰にもこの風景は見れない。

なんだか不思議ねぇ、、、。

そして、みんなの中にもあるんだねぇ。

沢山の風景が。
スパイス
異物は、言い換えれば、スパイスに例えられるかもしれません。

あらゆる料理には、アクセントとして、ハーブやスパイスが取り入れられ、はじめて口にした時には、驚きと、違和感が強く、抵抗感すら感じますが、次第に慣れてくると病みつきになり、無くては物足りない、無性に欲しくなるものになります。

例えば、日本人(これまたざっくりとした言い方ですが)にとって、醤油、味噌ほど、その生涯を通して馴染むということは、スパイスにはないかもしれませんが、"無いよりある方がいい"、"必要"、くらいにはなれると思います。

親密さ求めるばかりに、醤油や味噌に憧れ、しかしそうはなれぬ寂しさや劣等感に悩み悲しみ苦しむ時はありますが、己のスパイス性の出所を知り、見つめ、認め、出来れば愛せたら、案外、そのスパイシーな自分も、活かしどころがあるかもしれません。

スパイスなので、量が多いと邪魔だし、直接かじると強烈だし、どこまでいってもメインにはなれず、かつ絶対的に拒否されることもあるけれど、、、。

醤油や味噌のように、「やっぱりこれだよな」「はー、身に染みる、、、」というような安心感は出せませんが、スパイスとしてのちょっとした刺激、非日常的な感覚、マンネリを吹き飛ばす爽快さを演出出来たら、「まあ、悪くないかな」と思える気がします。

異物としての私
つい最近、腑に落ちたことがあります。

それは、私自身の存在は、"この社会において異物である"ということ。"この社会"というのも、すごく曖昧で大雑把な言い方だとは思うのですが、、、。

私のこれまでの人生を二分すると、15年ずつ、前半後半に分けれると思ったのですが、前半での、わけもわからず異物であった経験、後半での、努力によって異物とは認識されなくなった経験、それぞれの経験を通じて達した結論が、結局のところ私は異物なんだということでした。

恐らく、自分のことをそう感じる人はいると思います。
"なんとなく居場所がない"
"素でいると引かれる浮く"
"逆に一人だけ引いてる、冷めてる"
"周りとの喜び、悲しみ、感情が動くポイントが違う"
多かれ少なかれ、人はそういうことを感じることがあると思います。

けれど、異物の人たちは、異物であるまいと、受け入れよう、受け入れられよう、理解しよう、理解されよう、許そう、許されよう、頼ろう、頼られよう、心を開こう、馴染もう、話そう、聞こう、寄り添おう、、、時には自分を変化させ、時にはありのままを表現しながら、努力し続けた果てに、どうしようもなく自分は異物なのだと知るのだろうと思います。

そしてそれで、いいのです。
何も知らない子どもの眼
「あれ、おうさま、はだかだよ?」

オトナになるにつれ、そんな明らかなことが、言葉にできなくなる。

恐怖にかられる。

傷つく恐さ、傷つける恐さ。

異論を前に、オトナは、身構える。

戦って抑え込むか、無視してなかったものとするか。

まだなにものの支配下にもない子どもの、クリアな視界と言葉の繋がりに、憧れを抱き、祈りを捧げる。

そして、改めて誓うのだ。

それより、遥か及ばなくなりながらも、私も、精一杯の素直さを保ち続けようと。

もう誤魔化すまい。

思いやり、遠慮、配慮、弁え、オトナな対応、という言葉の下に、微細なる違和感。

戦う必要も、無きものにする必要もない。

ただ、心の中で静かに、「あぁ、」と気づくだけでいい。

私たちは、同じ世界で生きていける。そのキャパがこの世界にはある。

全ての存在自体がキャパを決めているからね。多分。

過去が未来だった
久しぶりに自分のブログに来て、タイトルみて、あらいいタイトル、なんて。今の心境にぴったり、さすが自分。

だけど不思議と、昔書いたことあることのようで、今年に入って決めたタイトルなんだなぁ。


最近はなかなか落ち着いてブログに書くことがないけれど、それでも折々、肝心なときにはここに来ている、と思う。

多分、ここでの私が限りなくありのままに近い自分で、アナログ日記は書かないから、昔の自分が記憶に改変されずに存在している場所なんだね。

snsはリアクションが豊か且つダイレクトで、軟弱な私は雑念に負けてばっかりで。

もはや、純粋に表現したいのか、欲求のために表現したいのか、わからない。

それで記録は残したいけど、どうしたもんか、歯切れが悪くなってるとこに、このタイトル。

あれ、過去は未来でしたか?笑


多分、ブレながら、霞みながらも、変わらないのでしょう、誰もいなくても。

ちなみに、このタイトルを彷彿とさせる記事を読み返してみたらちょーかっこいんですけどー(主観。やばい。

もひとつちなみに、自分が心惹かれるもの、鷲掴みにされるものは須く、自分のルーツに由来してるからね。いやほんと。だって私が反応するもの悉く九州に繋がってますから。逃れられないのよ。うふふ。


で、なんだったか、そうそう誰もいなくても、だよ。

いんだよ、アクセス数とか、いいねの数とか、なんかそういうのに付随する、承認のサインを求めるためにあなたにメス入れして傷つけなくて。

それより、あなた自身を大切に、あなたが大切にしたいことを大切に。

そしたらさ、必ず、揺るぎない、「いいね!!!」が来るさ。

それが来る頃には、「あ、大丈夫です、自覚してますから、ありがとう」なんて言えちゃったりしてさ。

既に私はそんなあなたに惹かれてるよ。

と、また宛もなく書いておこう。

とりあえず、周りの潮流なんか気にすんな。

そうは言っても、ってのも、わかるよ。けど、そう言いたくなるんだよな。


まぁ、いいや。


昔の自分も知ってりゃよかったと思うんだけども、身近に心境を吐露出来る対象が見当たらないときには、本か映画か音楽がよくて。

一見、一方向に思えるんだけど、なかなかどうして、対話になるんだよな。

何せ人間が作ってるからさ、で向こうもおんなじものを抱えて、何とかして生きてきた中で作ってるからさ、対話になるんだわ。

相手が生きてても、死んでても、時間、空間関係なく、正に出会う。それこそ時空を超えるってやつだ。

ちなみに最近じゃ、伊藤若冲の姿を見た気がしたよ。

若冲さんが描いた筆跡を見ていたら、若冲さんがどんな風に身体を動かして描いたか、眼に浮かぶようで、そこにあるのは単なる絵だけどもさ、楽しかった。若冲さんは生き生きとしていたよ。

ね、ただでさえ世界は広いのに、時空まで超えたら、広いどころじゃないね。

流行りのものもいいけれど、残ってるものも、なかなかいいよ。どんなに昔に生まれた作品でも、瑞々しくて鮮明な景色を見せてくれるものってあるんだよ。

あなどれんぜ、昔の人。

と、宛もなくね。宛もなく。


なんだろうね、そんなことが浮かんだんだな。


誰もいなくても、だけど、期待しようがしまいが、誰かいるもんさ。

ほんとだよ。
古びたシステムが何度でも自動的に
寝不足

食い物



天気

気候

地震?

フレーズ



音楽


些細なことで、古びたシステムが何度でも自動的に動き出す。


は、は、は。

だけど、わかってるんだよ。

それがねぇ、私の今じゃないってこと。

残念だったねぇ。


私はねかっこいいんです。
おぉう、危うく沈黙の圧を勝手に感じて、また引きこもるとこだった。はっはっは。


実は、エレカシライブ前夜に、最高に素敵な晩餐があって。この日の夜のことは、天の巡りがそうであれば、いつか詳しく言葉になると思うんだけど。

その夜まで、私の核となる部分は埃まみれというか、いじましい理屈に窒息しかかってて。私自身は抵抗し続けてるけれど、払っても払っても終わりがないイメージ。そうすることこそが人生のような?

で、その晩餐の夜、話を聴いてる時に、ふと過去に見た(イメージした)光を思い出したのです。刹那、核に纏わり付いて離れなかった塵埃がさぁーっと風に吹かれたように消え去ったのでした。

涙ぐむような、笑みがこぼれるような、しみじみとした満たされる感じ。安心感?

これが母というものに例えられる、生命の拠り所なのかなと、感じました。


エレカシライブの前夜にこうして真っさらな状態になれたことは、これはもう、そうなんだ、という確信。

人生の折々、特に子どもを宿すことで自分の生命を親の手から取り返して以来、こういう運命がうねる瞬間に試されてきてて。

「さぁ、行くか、残るか」

元々、守りたい生命などなくさらにはノリのいい私は「そりゃあ、行くでしょ!」と、歩を進めてきたのだけど、これまでは、ここで立ち止まっちゃダメだという脅迫観念の気持ちがあって。

それが今回は全く違ったのね。

準備は整った!またひとつ、行くんだな!

からの、エレカシライブだったんですな。


それから、私の中で理由もしくは言い訳を付けて選択したり執着していたことが浮き彫りになって、バラバラと剥がれ落ちていって。

例えば、私、結構引きで物事見てる方で、腕組みして遠くから眺めてるのが素に近いの状態なのだけど、エラそう?だな?と、ごまかすのをやめたりね。(バレてると思うんだけど、ごまかすのがひとつの礼儀のように感じてたり)

内側は、女的な面積と男的な面積が半々なんだけど、外側は女だから、それに合わせて振舞っていた仕草をやめたりね。

他にも色々、ブレーキかけてたり、自粛していたこと、側から見たら、気付くかどうかわからないくらいの些細なことだけど、それが自分にとってはかなりの違和感になっていたんだと分かる。

それが剥がれ落ちた後に残った自分は、こんなやつだったんだと。


そしたら必然的に、行動やその選択の縛りもなくなったのだよ。

今までは、有の中からさらに条件を絞って選ばねばと思っていたのが、無からいきなり作っちゃうか、とか、目の前に無くても現れるなこれは、とか思う。

先は分からなくなって、けど大丈夫だってことは感じるんだよ。

大丈夫って、成功するから大丈夫じゃなく、何が起きても大丈夫ってこと。


これからは多分、どんどん自分の感覚に素直になって、自由に生きていく。

いっときの感傷や未練は清涼な風に吹かれて消えていくさ。

故郷
最近決めたマイルールがあって。

私の出身地を話した時に、リアクションが二つあるんですね。

「(うわー)ヤバいとこですねー(薄ら笑い)(俗的)」
「ああ、あの修験道があった!(文化的)」

前者のリアクションした瞬間、さよならーします。

目線が低くて下世話!

事実として、「うわー。。。」なとこはあるけれど、それに至る歴史、内情、現在を知らん人間に後ろ指さされる筋合いはない。
石炭に支えられて発展した日本で暮らしていて、綺麗な身体で石炭まみれの人間に向かってタダシイこと言うなってよー。

何度も話すけど、中学でやりたい放題、授業妨害してたやつが何個も十円ハゲ作ってんだから。

ロクデモナイ人間にも悲哀があるのさ。

でね、地域名=「うわー(薄ら笑い)」に対して、私たちもそれが当たり前って思って育ちあがってんだわ。

差別されること、尊厳を踏みにじられることに慣れてるか、気づいてない。

うわーって言ってる方は半ば笑いのネタのつもりだろうし、こっちもそれを受け入れて自虐ネタにしてたんだけど、ある日なんか腹が立って「そんなこと○○の人間に言われる筋合いないんですけど」って言い返してた。

○○はうちを馬鹿にしてくる筆頭地域。私の返しもしょうもない目くそ鼻くそですが。

それ以来、前者のリアクションを取った人はしらっとさよならしてます。

あと薄っすら距離を置いたりする人ね。そりゃ嫌だよね、関係したくないでしょうね。

以前は寂しく感じたりもしたけど、今はそれほど。

ちなみになんでこんなに怒るかというと、私の友人の中にはたくさん尊敬に値する人がいるんですね。特に誠実さにおいて。

それが地域のことだけで、そこの人間はって言われる。

これは私もしゃーねーなと笑って許してる場合じゃないぞと。
そんな感じなんですな。

だから、故郷を誇る、恋しく思う、帰りたい場所と懐かしむ感覚がわからない。

自分にとってそんな故郷はなくて、ただ、何とも言い難い、憂いに近い気持ちで思い続けてます。


それでも私は、彼の地で生まれ育ってよかったなと思います。
ついでに母は今でこそ人気になったのか?、被差別県である沖縄出身でしたし。

物事の複雑さを見極めたり、脚色されていない人間の器を図る洞察力、金を積まれようとも、恫喝されようとも揺るがない度胸、そんなものを培う土台は、あの場所だから磨かれたんだろうし。
(あ、でもこのペラペラでは喧嘩にもならないし、敵は居るものではなく作るものですから、作らないよう考えて生きてます)

威張るつもりは毛頭ないけども、自分のことは誇りに思ってます♪
そう思ってもいいのだね
声をあげて泣いたのです。

風邪をひいて、身体がつらくてね。
休んでいたいけど、お腹がすいたし、
子どももご飯を食べたいだろうし。

だけど台所はとっ散らかってて、
炊飯器は空っぽ。

なんかね、ふつふつと、
「なんで?」
って、浮かんでくるんですね。

「なんでこれやっといてくれなかったんだろう」
「なんで私だけきつい時に休めないんだろう」

そしたら、泣けてくるのです。

しくしく泣きながらお皿を洗ってると、
ちび太も異変を感じて泣き出して足にしがみついて来ました。
じゃましないでくれよと、思いつつ、
あたりたくないと堪えたら、
その気持ちが泣く方に注がれて、
声をあげて泣いたのですね。

今までは、「なんで」が浮かんだ瞬間に否定していました。

「なんでこれやっといてくれなかったんだろう、いや、向こうも大変だったし!」
「なんで私だけきつい時に休めないんだろう、いや、私だけじゃないし!」

自分を憐れんだり、誰かを悪く思うことなんて、自分の視点が悪いし、相手に申し訳ないし、一時的な気の迷いだと、許していませんでした。

今日も泣いている間は、
何とも言えない不快感がありました。

多分、これまでの自分なら、泣いたことを誰かに話すこと自体許せず、こんな風に文章にもしなかったと思います。
文章にしているのは、ちょっと思いあたったことがあったからです。

しばらくして、気持ちが落ちつき、
思考の混乱がとかれていくと、
不思議と気分はすっきりしていました。
そしていつも通り、穏やかな気持ちがわいてきたのです。

そこで思いました。
「気の迷いでも、心の中で思うくらいはいいんだな。ついでに泣いて終わるなら、泣いてもいいか」
堪えたつもりで、苛々して態度に出るよりもより良いと思いました。

今日は、はじめて、蓋をする前に気持ちを出せた気がします。
最近、色々と観て下さっていたお姉様方、私、なかなか優秀ではないでしょうか(笑

でもやはり、自分のために泣くのはあまり好きじゃないかな。
理想は、そもそも泣くようなとこまで頑張らないことです。

またひとつ自由になれたと思います。
しとせいだ!!



去年の7月に突然我が家にやってきた庵ちゃん。

最初はほそっほそのボロボロで、

いかにも路頭に迷いました、という様子。

躊躇うことなく拾えたのはその姿だったから。



庵ちゃんはとてもいいこで甘えん坊で、

外にいたのが不思議なくらい、

立派なおうち猫でした。



庵ちゃんが来たことで張り合いが出来て、

ちょぴっと変化に乏しかった家族間にも、

何かささやかではあるけれど、

明るい力を分けてくれていました。



もうすぐ庵ちゃんが来て一年になろうというころ、

さて一周年記念に何をしようかと、

お兄ちゃんはわくわくしていました。



そんな、なんてことない、いつも通りの月曜日の早朝。

庵ちゃんは突然歩行が出きないくらいにヨロヨロになり、

その日のお昼には、身体から脱出していってしまったのでした。



前日まではいつも通り。

拾った時よりも立派になった姿で、

庵ちゃんはその命の火を、

ギリギリまで燃やしたのでしょうか。





その突然の別れから一週間後。

ちょうど初七日を明けた日に、

我が家は二人目の子どもを迎えたのでした。



庵ちゃんは、

無理がたたって、なかなか二人目に恵まれず、

一人でも有難いことだと思ったころに、

私たちの元へ来てくれました。

そして…



と、何か運命めいたものを感じたりもしますが、

それはそれとして、

庵ちゃんが来て、第二子が産まれるまでの一年は、

シンプルに生きていること、暮らしていることに、

集中させてくれる一年だったと思います。



生きるってことはダイナミックで、

魅力的なことなんだと。



時間は長いとはいえないのかも知れないけれど、

共に生きた瞬間瞬間はとても強く私の中に残り、

この瞬間の凝縮が、永遠ってことなのかなと思います。



赤ん坊を抱えての作文で、

取り留めが無いですが、

とりあえずこれにて…。



今を生きていること、

みんなと共に生きられることを、

心から喜ばしく思うのです。