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悲しまなくてもいいと思う
ずっと、原発事故のほつれから、

この世界で起きている、偶発的でいて実は計画的に生み出された

悲劇の中身と仕組みと向かている先を、

ほとんど傍観者の立ち位置で眺めつつ。


一つ、個人的に打ちのめされた事実は、

普通に、なんの法律を犯すことなく、

ただ素朴な日々を過ごしていくだけで、

この世界の傷は取り返しもつかないほどに深くなって、

しかも、原発事故っていう割と身近なところで

その一片を垣間見ても、

人々が今までと変わらぬ日々を得ようとしていること。


いじめている人と、いじめられている人の周囲にいた

何も悪いことをしていない普通のやさしい人たち。

その無知と無関心と沈黙。

優しくて、穿った見方をしない、善良な人々。


いじめは、いじめの内容そのものよりも、

大多数の人が黙認するという事実に、心が折れる。

非人道的な行いが、この世界で認められているんだと

それがこの世界のシステムなんだと思うと。

殺しているのはいじめを働く当事者だけじゃない。


だけど、この圧倒的に厳しい現実を見つめ続けることの価値は、

間違いなくある。

それは、どんな事実にも打ちのめされることのない、

希望の光を見つけられるという事。


人生の折々に、

いいようのない孤独や哀しみが胸にこみ上げてくるとき、

絶対に消え去ることのない一点の光。


事実を突き詰めて、

人間という奇異な生き物を見つめ続けて、

その先に、この世界を丸ごと愛することが出来れば、

今まで出会ったことのない、出会うかもわからない、

沢山の友達にも恵まれる。


今は

政治家に怒りたい気持ちはない。

マスコミにも新聞にも。

ロスチャイルドやロックフェラーにも。

黙認する人々にも。


ただひたすら実践する人々への感謝の気持ちと、

そうあらねばと思いつつ

もう一息派手さの足りない自分のなんとも言えない情けなさを楽しむ気持ち。


言葉にならないほど打ちのめされた後に光を見つけて、

だからこそなお言葉は少なくなったけれど、

この(人間)世界が着々と破滅へ向かっていっていても、

一発逆転を夢見ていられる今が本当に幸せ。

いや、破滅って大げさじゃないよ。

人間って凄いとこまで突っ走ってきてるんだから。


悲しまなくてもいいと思う。

もう少し、根気よく見つめ続ければ、

虹の橋も渡れると思うよ。




空を渡ろう
 
未だに言葉や行動にするひとたちを熱く見つめています
東電の福島原発事故のこと、ちゃんと探せば情報は得られるし、

あとはそれぞれ、自分の信念に基づいて人生に合う形で取捨選択していくことだから

私がtwitterやブログで言及する必要などないやと、しばらく流していました。



判断するには十二分のことが起きたなかで、

今いるところが間違いなくそれぞれの確固とした意思表明。

それについて、道を示そう!とか、何が正しくてそうでないかとか、

そういう気持ちは全く無くって(そういう批判やジャッジをしてないというか)、

全世界全てのこの今の状態が、有り、だという風な心境。

手狭な問題だけ言えば、反対も推進も傍観も全部有り。

全ては個々人が人生を通して引き受けていくことなんだって感じたから。

この辺はちょっとまた別の機会に。



それで、久しぶりに東電の福島原発事故のことについて話しだしたのは、

この問題について自分の思いを言葉にしている方とお話ししたから。

別々の場所で二人。

心配な気持ち、疑問、憤り、今後のことなど、世間話と同じ感覚。

でね、運動とか、啓蒙するとか、そういう気持ちはないけれど、

未だに、言葉にする人とは、ちゃんと自分の気持ちも表そうかなと・・・。



皆さん言うんですね。

自分のほうがおかしいのかと思う。

口にするのが悪いように感じる。

差別しているような風潮になってるから控えてる。



メディアや世論(というものがあるのか分からないけれど)が、

どういう風に流れても仕向けていても、

ガンコモンの私は気にしないけれども、

素直な人や心根の優しい人は、勉強したり、言葉にしたり、静かに考えることで、

蝋燭の灯りを守るようにして自分の考えや気持ちを保っているんだろうと思いました。

私は率先して主張はしないけれど、

そうして言葉や行動にしている人を応援したいなと思いました。



地味で目立たないけれども、

口頭伝承のように語り続けるのも根強いかなと思います。

私の個人的な思いを表せば、

言葉や行動にすることを憚るように仕向けている作為的な物事に、

心の底から反発しているし、

(あるかないか分からないけど)それに迎合する動きもごめんなさいだし、

それに対して表明している人々には頭が下がるし、

そして今日、表明する人を応援する人になりたいと思いました。



応援したい人は、境界線でくくられた一部の地域だけにいるんじゃないと気づきました。



ある時期から、行きどころのなくなった自分の気持ち。

本当は、手を取り合い、助け合うことが必要な状況で、

ゴーストのようにどことも誰とも繋がることのない自分、

その行きどころが、ようやく。



一つね、そう出来るようになったのは、

やっぱり自分のカンバンを背負い直したからと思います。

誰かのカンバンを背負ってると、

そのカンバンに迷惑をかけないようにとか、誤解のないように、

グレーな発言や行動しか出来なくなるけれど、

自分のカンバンなら自分が言ったことしたことを請け負えばいいだけなので、

気楽なもん^^v

むしろ最初から色出して、最初から変人だと認識して貰えれば、

それでもOK♪な人が付き合ってくれるから・・・。

うん、そんな感じ。



たま〜に会って上記項目について語り合う人のところでおよばれした時のおやつ・・・。

おやつは嗜好品だから健康なんか気にしちゃスイーツハンター(?)の名折れよって、

ぱくぱく食べちゃうんですが、

めっちゃ素材や安全性に気を使ってくれているのにめっちゃスイーツ感満載で、

歓声をあげてしまったよ。

うま





 
憤りを越えて進め
ちょっとずつ、石の歯車が廻り始めたような感触。

面白いもので、もうこのまま何も進まないんじゃないのかという、

八方塞がりに一番近づいたあとに、ちょっと廻り出す。



311から、思考や感情の殆どは、

憂いと憤りと、そんなもので形成されていた。

人の輝くような良心を目の当たりにしつつも、

それとは真逆の心が大きな黒雲のように覆い込んでいったようで。



今回のことは、放射能をどう避けるか、脱原発をするかどうか、

そういう原発の問題じゃないと思っている。



海外の食品だからOKFOODなのか、

クリーンエネルギーだったら今までと同じように使っていいのか、

東日本の食材を使ってなければ、

相手が顔の見えない大企業でもその商品を買い求めていいのか…。



正しいアプローチはすぐ隣にあるのではなく、

もっと先、もっと見えないところにあるんじゃないのかな。



そういう意味で、本当は、どこにいても、何かしらの方向転換を迫られている。

今までのように暮らしたい、というのは、まだ顕在化していないだけで、

福島県のようにリスクや犠牲を強いられる地域、国を黙認することに繋がるのかなと思う。



多分、場所は関係ないと思う。

立場も状況も関係ないと思う。

よく考え詰めることと、ちょっとしたアクション。

あなたが日々力を注ぐ対象、あなたが日々対価を払う対象、それが鍵。



この世界を覆う悲しみは同じシステムで繋がっている。

これからこの世界を包んでいく喜びも、とてもシンプルな形で繋がっていく。



いつの時代にも、この悲しみを生み出すシステムを何とかしようと試みた人はいて、

ただ現状がこうだということは、その人たちの願いは未だ達成されていない。

でも、何度も何度も完敗はせず、ゲリラのように粘り強くその夢は残っている。

悲しみ生産非公開株式会社の人たちにとっては、

今までで一番いや〜な時代が訪れつつあるんじゃないかな〜。



今は少し軽やかな心境。

大きなうねりに小さな木の葉で波乗り。

しばらくはどんぶらこっこと乗っていってみます。



ダイヤモンド