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そこに誰もいなくても
宮本浩次って人が歌う様を見てきた。

個人のスケールを遥かに超越してて、超新星爆発したかのような迫力。

残念だけれど、どんなに立派な記録手段を持って丁寧に仕事をしても、あの人の業(ギョウ、ワザ)を正しく記録することは不可能だということを感じたよ。

で、先の震災後始めての熊本でのライブで、彼はどんな様子なんだろうってことは気になってて。

蓋を開けてみたら、一切言及無し。

ただひたすら、徹底的に歌う。

歌う声、音、姿、身体にダイレクトに響く音圧が、いつの間にか心身に纏わり付いてたチリホコリを全て吹き飛ばして、ただのエネルギー体だけになって共鳴していく感覚。

それだけで、何故かどんどん力が湧いてくる。

いついかなるときも、喜怒哀楽の感情の向こうで、静かに思考したり判断したりし続けてる自分自身を、この時ばかりは完全に手放して、身を委ねてた。

恐らく彼は、どこまでも孤独で自立しているから、目の前に大勢の人間がいてもいなくても、そんなこと構っていないんだと思う。

鬼気迫る勢いで歌い、語りかけてくる。媚びない、綺麗事もない。魅了され、沸き立つ観衆に、寧ろ、殺意にも近い、剥き出しの力をぶつけてくる。

世が世なら、この人のために死んでも構わないと思わせてくるほどの、圧倒的なカリスマ性を持ってして、1ミリたりともそれに酔わない。

盛り上がり、沸き立ち、最高潮に向かうほどに、彼は一人、研ぎ澄まされた冷静さを発揮する。

彼が宗教家や政治家じゃなくて本当に良かった。

ただただその時最高の形で音楽を現すことのみに集中してる。彼は一点の濁りなき音楽家で、そこに誰もいなくても音楽を生み出し続けるんだろう。

そんな彼だから、却って安心してその世界に身を委ねられたんだと思う。


私はいつの間にか、自分の生命を燻らせて、生温い退屈な日常に甘んじて生きていたんだと、はっきり感じた。

それでも恥じたり、縋ったりせずにいられるのは、思考と判断と選択だけは譲ったことがないからだと思う。

行動が圧倒的に足りない。

その為の身体が出来てない。

女だ、非力だ、産後だ、なんだ!

そんな言い訳を許して何が最善だ。

くそったれが。

十人十色、多種多様、千差万別、多様性のある世界を希求し、他者を慮って、自分を窒息死させようとしてる。

私が私を全身全霊発揮せずに、どうしてそんな世界が出来上がるってんだ。

本当にくそったれだ。

一世一代、全力注いで、盛大にからぶることにびびってるのかもしれない。

末路に、嘲笑われることが脳裏に散らつく。

どこ向いてやってんだ。

媚びようとする弱い自分!!!

だからいつまでたってもってやつだよ。

くそが。

くそったれが。

くそーーー・・・。


自分の手に負えない、計り知れない、知りようのないほど凄い人間がいるってことが、堪らなく嬉しいよ!

さー、毎日、死ぬまで生きるぜ。
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