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漫画「この世界の片隅に」を読み終えて
近年稀に見る名作でした。

恐らく、じわじわとしか認知されない、もしくは、知る人ぞ知るだけで終えていたかもしれないこの作品を、自分で資金調達して映画にし、全国的に広めた監督の仕事も、等しく偉業だと思います。

うちでも近いうちに全巻購入し、子どもたちが集う場にそっと置いとくことにしました。

時代を超える名作は多々ありますが、この作品もそうだと思います。


と、いう前提で、私が感じたことをそのまま記します。

まだ漫画も映画もご覧になってない方は、初見の感動が1番肝心なので、以下は読まないでいいと思います。

というか、ネタバレどころか、作者の意図を台無しにしかねないので、私のだけでなくどなたの感想も読まずに、真っさらな状態で、この作品に出会ってほしい。

一分の隙もなく名作です。




で、私自身の感想は
「うわー。。。共感出来るやつが一人もいねー。。。(どん引き」
でした。

ぼんやりとした意識、ぼんやりとした信用、ぼんやりとした危機対応のまま、破局に突入したのかという、驚きと呆れと納得。

だけどその「ぼんやり」が、社会を成り立たせる必要不可欠な要素で、それ故、先の戦争の悲劇は必然にも近いものだったんだと思うと、恐怖でした。

夏目漱石が、これから日本が無機質にも感じられる「個」の時代に突入していくということを憂えていたと思うのですが、戦前と言われる時代でもまだまだ、社会が1つの生物かのように成立していて、人々が有機的に混ざり合ってその機能を果たしているように感じました。

そしてそこには個人の意思や感情は邪魔なものですから、それらは「ぼんやり」としたものになっている。

いいじゃない、穏やかで、平和で、と一見ではそうなのですが、言葉や表現にならないだけで、個々人の心中はそうではないんですね。恐らく。ただ、乱さぬよう、「ぼんやり」と振る舞う。

誰かが死んだこと、これから死ににいくことも、そのぼんやりとしたものに包まれて、日常に馴染み、社会を支える一部になっていく。

個々人の命や人生は社会の下にある。それを疑ったことのない人々によって引き寄せられた現実。

みんながみんな、普通に、穏やかに、ぼんやりと狂ってました。


これが戦前戦中の現実だったのか、とリアリティに満ちた描写、ストーリーテリングに説得力を感じ納得しかけて、自分の中でも改めて当時を思い描いたんですが、結論、そんなはずはないだろうと思い至りました。

戦前から戦後今まで、折々表現として残されたものを辿っただけでも、この作品に描かれている人々とは明らかに違う人たちもいるんです。

恐らくは大多数の人が、普通、当たり前のこととして受け止めたすずさんの暮らしの外に、インビジブルにされた人たちがいます。

じゃあ何故、作者は完全にそれらの人々を排して、すずさんを中心に据えて人々を描いたのか。

作者の痛烈な意図を感じます。


作者の素晴らしいところは、その痛烈さがあるにも関わらず、作品の中ではこれっぽっちもその匂いを出していないところ。

ほら、あるでしょう?痛烈さがいやーな空気を漂わせて、言ってることはともかくも、なんかなーーみたいな。ほら、こう、この私の物言いみたいにね?

それが無い。

無いからこそ、すんなりと懐に入る。けど痛烈さがあるから、さらりと消化してよかったよかったでは終わらぬ、何かが残る。

その業(ワザ)の見事さ。

言葉になりません。


当時は仕方ない部分があると思うんです。

まさか政府が大義と私欲の区別をつけられず、国民の命を湯水のように使うなんて想像だに出来なかったのかもしれません。

けど、今は違いますね。

そういう人たちがいて、未だ君臨してることは分かってるわけです。

この後に及んで、「ぼんやり」はヤバい。

人々を本質的に幸せに出来ない社会を「ぼんやり」とした理由で維持させられていることは、当時と今と変わりありません。

その中でたくさんの人々が亡くなり、それを殉死、戦死というか、過労死、自死というかが違うだけで、その命が無くなっていることに無感動になっていることも、当時と今と変わりありません。

「ぼんやり」しなくても、穏やかに、平和に暮らすことは出来ますが、「ぼんやり」して、穏やかに、平和に暮らすことは叶わぬ今です。


まずは知ること。

今風の言い方をすれば、人々の善意ややりがいを搾取している社会の構造を知る。

そして、その社会への依存度を減らす選択を少しずつ見つけて動く。

個人が個人として立ち、その思いや行動が自由になれば、間違いなく、個々人を本質的に幸せにする本当の社会(コミュニティ)は生まれるでしょう。

しーんぱーいないさー。


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