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<< 漫画「この世界の片隅に」を読み終えて | main |
過去が未来だった
久しぶりに自分のブログに来て、タイトルみて、あらいいタイトル、なんて。今の心境にぴったり、さすが自分。

だけど不思議と、昔書いたことあることのようで、今年に入って決めたタイトルなんだなぁ。


最近はなかなか落ち着いてブログに書くことがないけれど、それでも折々、肝心なときにはここに来ている、と思う。

多分、ここでの私が限りなくありのままに近い自分で、アナログ日記は書かないから、昔の自分が記憶に改変されずに存在している場所なんだね。

snsはリアクションが豊か且つダイレクトで、軟弱な私は雑念に負けてばっかりで。

もはや、純粋に表現したいのか、欲求のために表現したいのか、わからない。

それで記録は残したいけど、どうしたもんか、歯切れが悪くなってるとこに、このタイトル。

あれ、過去は未来でしたか?笑


多分、ブレながら、霞みながらも、変わらないのでしょう、誰もいなくても。

ちなみに、このタイトルを彷彿とさせる記事を読み返してみたらちょーかっこいんですけどー(主観。やばい。

もひとつちなみに、自分が心惹かれるもの、鷲掴みにされるものは須く、自分のルーツに由来してるからね。いやほんと。だって私が反応するもの悉く九州に繋がってますから。逃れられないのよ。うふふ。


で、なんだったか、そうそう誰もいなくても、だよ。

いんだよ、アクセス数とか、いいねの数とか、なんかそういうのに付随する、承認のサインを求めるためにあなたにメス入れして傷つけなくて。

それより、あなた自身を大切に、あなたが大切にしたいことを大切に。

そしたらさ、必ず、揺るぎない、「いいね!!!」が来るさ。

それが来る頃には、「あ、大丈夫です、自覚してますから、ありがとう」なんて言えちゃったりしてさ。

既に私はそんなあなたに惹かれてるよ。

と、また宛もなく書いておこう。

とりあえず、周りの潮流なんか気にすんな。

そうは言っても、ってのも、わかるよ。けど、そう言いたくなるんだよな。


まぁ、いいや。


昔の自分も知ってりゃよかったと思うんだけども、身近に心境を吐露出来る対象が見当たらないときには、本か映画か音楽がよくて。

一見、一方向に思えるんだけど、なかなかどうして、対話になるんだよな。

何せ人間が作ってるからさ、で向こうもおんなじものを抱えて、何とかして生きてきた中で作ってるからさ、対話になるんだわ。

相手が生きてても、死んでても、時間、空間関係なく、正に出会う。それこそ時空を超えるってやつだ。

ちなみに最近じゃ、伊藤若冲の姿を見た気がしたよ。

若冲さんが描いた筆跡を見ていたら、若冲さんがどんな風に身体を動かして描いたか、眼に浮かぶようで、そこにあるのは単なる絵だけどもさ、楽しかった。若冲さんは生き生きとしていたよ。

ね、ただでさえ世界は広いのに、時空まで超えたら、広いどころじゃないね。

流行りのものもいいけれど、残ってるものも、なかなかいいよ。どんなに昔に生まれた作品でも、瑞々しくて鮮明な景色を見せてくれるものってあるんだよ。

あなどれんぜ、昔の人。

と、宛もなくね。宛もなく。


なんだろうね、そんなことが浮かんだんだな。


誰もいなくても、だけど、期待しようがしまいが、誰かいるもんさ。

ほんとだよ。
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